内閣府認証NPO法人 Green Help Japan (GHJ)

お手紙のご紹介

2004年11月10日

NPO法人グリーンヘルプジャパン

代表理事 近藤和子

 

この度、NPO活動をして下さる方の募集をしたところ・・・。大阪在住の主婦の方でBMD環境予防医学協会の会員の方が、協力したいという思いを手紙添えて応募されてこられました。

 

私はその手紙を読ませていただきながら、静かに豊かに解放している彼女の心の中を、感じさせて頂いたとき、涙が出てきました。

 

こんな世界を、みんなの力で助け合える、NPO活動活動にしていきたいと思いました。ご本人の許可を受け、今回の創刊号の紙面を飾っていただくことにいたしました。 

 

この手紙の中に出てくる宝塚歌劇は、NPO活動の「芸術の振興を図る活動」に対しNPOグリーンヘルプジャパンでは、人々に夢を与え続けて90年の歴史 を持つ宝塚歌劇を支援することにいたし、その活動の一環として、少し前から進めております。

 

拝啓
 いつもお世話になっております。
 今回の、情報誌の和子先生をホームページで拝見して長女と「ワァー!すごい可愛い!」と言ってしまいました。
 下の女の子は、送ってもらった情報誌の写真を見て「こんなおばちゃんなん! テープの声を聞いてた時のイメージと全然違ってすごい優しい人やなー。会ってみたいわー。」と言ってました。
 改めて、還暦の年を迎えられおめでとうございます。
 さて、宝塚歌劇を四度も観劇させていただいたことになりとても嬉しく感謝しております。
 一度目は下の子と一緒でした。
 とても明るく前向きで爽やかな印象を受け理屈抜きで歌に踊りにと聞きほれていて、すごく体が軽くなりました。
 娘も軽くなって「行きと全然違うわ。めっちゃ軽い」と喜んでいました。
 家に帰ってから・・声に出しては歌えないのですが、心の奥からメロディーが、どどんどんあふれ出るという感じが毎日毎日続いていました。
 二度目は長女と行き、一部はとにかく感動し、二部は少しストーリーを考えながら、いい演出だなーと思い、また見に来たいと思いました。
 三度目は、さらに感動が深く「偶然生まれおち、生きているだけで…。」から胸が熱くなり、歌に心が揺さ振られ最後のコンテスト会場で、カルロスがファンの代わりに踊った時は、涙がとめどなく流れ落ちました。
 二部はもうノリノリで自然に体がリズムをとり、最後、前でみんなが歌っている時、自分は水さんとトップの人との間で歌っているような錯覚をおこしたくらい、すごく近くに感じました。
 めちゃくちゃ嬉しくなりました。
 その日は終わってから娘とプチミュージアムに入り、それまでの感動にひたりながらゆっくり過ごし、帰ろうかと外にでました。
 時間を見ると一時間程たっていて、門をくぐる前に、和子先生の「出待ち」の言葉を思い出して「もし、縁があったら出会えるから」と言って娘を誘ってファンらしき人達を見つけて向かいました。
 でもいつ出てこられるか全くわからないし、娘には「ほんま、おばちゃんやなー。」と言われながら「20分待って来なかったら帰るわ」と言ってワクワクしながら待っていました。
 すると10分過ぎてから一人一人と出てこられ、「ウァー会える、会える。胸がワクワクしてるわー。もう出てきはるできっと」と言っていたら、水さんが数 人と出て来られたので思わず「水さんーおつかれ様―。」と手を振っていました。
 でも水さんは他の人と話をされていたので聞こえなかったようです。
 そして、トップの方が出て来られるまでずっと出口真正面の一番前で「ワァー可愛い!ワァーステキ!」と小さな声で叫んでいました。
 その日はもう大満足で帰りました。
 娘も良かったと、なんだかはまったようです。
 歌いながら、踊りながら(ちゃんと歌えないし踊れないけど)楽しい思いをさせてもらった事に感謝しながら、子ども達と話していたら、下の子が「お母さん 今日は輝いているなー。若返ったよなー。」と言ってくれてとても嬉しかったです。
 この日から楽しくて、一日を無事終わらせてもらっている事に喜びを口に出しては体も自然と踊っている。
 「ヨカッタ!ヨカッタ!嬉しいねー。」と…。
 それからさほど日がたたないうちに、朝、松山さんから宝塚のお誘いがあってとても驚いて、ちょうど長女が側にいて伝えたら「行きたい!」と言う事で結局長女は三度、私は四度目と足を運びました。
 長女は二回目も感動し、良かったけれど三回目が一番良かったと言ってました。
 私は一度目の時のようなとても新鮮で初めて観たような気分でしたがやはり感動し涙があふれました。
 「生きていれば…偶然出会わなければ…。」そしてラストダンスは涙でかすんで見えないくらいに・・・。
 二部はノリノリ楽しみました。
 爽やかな気分で帰る事ができました。

 話は変わりますが・・・・。
 和子先生の本を宝塚に行く道中に読んでいました。
 以前読んだ時は、先生は苦労されたんだなーと思って読んでいたんですが、今回は違った感じでなぜか私自身の幼いころ(二歳くらいの時)からつらかった事 が鮮明にどんどん思い出され、自分でもすっかり忘れていたことなので驚いています。
 次から次と思い出され、こんな事もあったわと…。
 でも暗くなるのではなく、気づいたら「あの日のように始めよう…。」と心の中で歌い明るくいられる自分があるのです。
 私自身、娘さんと同じように中二の頃、自殺を考えていて毎晩毎晩ふとんの中でどうやって家を出ようか、どうやって死のうかとばかり考えていました。
 そのうちに私がいなくなって悲しむ人がいるのだろうか?と考えるようになりきっと誰もいないと思った時、限界にきていたように思います。
ちょうどその頃、学級で先生が色紙に自分の夢を書きなさいと廻された時、死にたい!と書きました。
 そしてその色紙は教室の後ろに貼られていました。殆どの人が名前を書いていたので先生は私が書いた事はわかったと思います。
 でも先生からは何も聞かれる事はありませんでした。
 それから懇談があった時、先生は母に伝えていたような気がしました。(ただ今思えばたんに私の思い過ごしだったのかもしれないのですが)
 その日から毎日少しドキドキしながらなんて声をかけてくれるのか期待をしていました。
 けれど、いつまでたっても母は何も言ってくれなかったのでした。
 それで私は結局、私の存在はあってもなくても一緒なんだと思い、逆に開き直ってもう死ぬことを考えるのはやめました。
 そして、とにかく親の敷いたレールにのっかって文句ひとつ言わずにいることが自分がそれ以上いやな思いをせずにいられるのだと考え、言う通りにして来ました。
 二~三才の頃、母親から唖と言われ、人に紹介するときは「しゃべれない、汚い、マヌケ、のろまなくせにおっちょこちょい、何を考えているかわからない変わり者」と必ず言われ、自己嫌悪のかたまりになっていました。
 初めて自分の気持ちを言えたのは、薬学部の大学に行きたいと言った時、知らない間に裏口入学の話が進められていて、間に入った人が私に少しだけその話を してくれてとてもショックを受けて、私が不正で入学して、きちんと合格した人が不合格になるような事はしたくないと涙ながらに一所懸命伝えようと思い、懸 命に言ったのを覚えています。
 結婚し、妊娠した時は「子どもなんかおってもろくな事はない。親が苦労するだけや。親孝行するわけでもないのに。」と言われ、とてもショックを受けました。
 私は子どもの頃、母親はどうすれば喜んでくれるのだろうかとばかり考えていた自分はいったいなんだったのだろうとあらためて考えさせられました。
三人目が出来た時も「おまえは何を考えてるんや。おろせ!」(そのころ、主人が失業中でした)
 私自身結婚したら、とにかく家族全員健康で明るく仲良く暮らしている事が、一番の親孝行だと考えていたのですが何につけ文句を言われ、誕生日や母の日の プレゼントは家に招いて食事をして、楽しく過ごして小さなプレゼントを渡してもたいして喜ばれず、独身でお金があっていい物ばかり身につけていた妹からの 高価なプレゼントの方を喜び、人の気持ちはなかなか伝わらないもんだなーととても悲しい思いでした。
 でもいつも優しく接してくれる人がいて、私の心は救われていました。
それは、主人の両親でした。
私の両親は田舎者だと主人を含めて非難していましたが、田舎の両親はみんなが元気で仲良くいてくれて、たまに、顔を見せてくれたらいいんだって、 長男だけど帰らないかんとは思わんでもいい。
 帰りたくなったらいつでも帰ってきていいよ。
 自分たちで考えていいようにしたらいいと・・・。
 盆、正月に帰った時は非常に喜んでくれて、最近は行く度に感謝の言葉を言ってくれます。
 だから、私もお父さん達が元気にいてくれるからとても嬉しいと答えます。
 私はお嫁に行った時から、本当の親子だと思って接してきました。
今は主人とめぐり会えた事が、素晴らしい両親や親戚に出会えたんだと感謝していました。
 宝塚歌劇と出会い、先生の本と出会い感謝です。
 この幸せを一人でも多くの人に伝えたいと、出会う人に先生の本と水夏希さんの写真集を紹介しています。
 NPOの方もゆっくりと広めて行きたいと思います。
 やっと自分の思いを軽く楽しく言えるようになってきました。
 歌劇のノリでがんばります。どうぞ宜しくお願いします。

 

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